レブラ君とあやしい仲間たち 第240回テキスト版
- wix rbra
- 6月22日
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テキスト変換 飯塚泰樹
荒木代表:
皆さんこんにちは、レブラ君とあやしい仲間たちの時間です。今日はいつもの葛城幹事長がおりませんけれども、大阪での特別な収録ということで、ご家族のお話しをしようと思います。
先ず、昭和 56 年、1981 年の 12 月に三重県桑名市で失踪された高校教員の辻與一さん。今日は兵庫県三田市からお兄さんの辻太一さんにおいで頂いています、宜しくお願い致します。
事件は、学期末の試験を前にして突然いなくなられたということだったのですけれども、いなくなられた時の状況をお話し頂けますか。

辻さん:
1981 年、学級の担任をしていたのです。英語の先生で、桑名工業高校という所で英語の先生をしていたのですけれども、12 月の試験の前ですね、12 月 4 日から 7 日まで学校に休暇届を出して…。ところが 8 日になっても学校に出勤しなかったので、校長の方から両親の家…、その頃両親は岐阜県の各務原市という所に住んでいたのですけれども、そこに電話がありまして、「息子さん、そちらの方に帰っておられませんか?」ということで…。
弟は、桑名の学校まで電車で行く所なんですけれども、農家の離れに下宿していたんですね。だからあの、弟が帰ってくると言ったって 1 年に 1 回、僕も顔合わせするぐらいで…。僕はその頃、大阪にいましたので、両親は各務原で、もうバラバラで…。1 年に一回、正月に顔を合わせるのに帰って来るぐらいなんです。それで校長先生から、両親の方に「そちらに帰っていませんか、ずっと出勤していないのですけれども…。」ということで。
親父は、まあ「そんなはずないなあ…、帰って来ていません。」ということで。
学校の方に行って、学校の先生と一緒に弟の下宿に、農家の離れで大家からすぐの所なんですけれども、2 階建ての長屋みたいな感じの所だったのですけれど、そこの部屋を見ましたら、食べかけの…、真ん中に…、その後僕も 2 日か 3 日ぐらいで親父の要請があって大阪から駆けつけたのですけど、その時の状況も同じなんですけど、丁度 2 階の真ん中の部屋の所に古いやぐらこたつがあって、その上に食べかけのパンがあったんですよ。
それであの、電源というか、充電みたいなのが…、何を充電したのかハッキリは覚えていないけど、とにかく充電器が差し込んであって、カミソリだったか何だったか覚えていないんですけど充電したままで。パンもそんな感じで食べかけなんで。
なんかすぐ、ちょっと行ってすぐに帰って来るようなイメージだったんですよね。ところがそれっきりで、そんな風で、ずっと帰って来なかった。1 回も連絡ないです。
担任してましたんで、生徒さんの通知表をつけなければいけないし、部屋を見ると、勿論どこか遠くに自分で行くのであればお金が要るから、預金通帳だって持って行くはずですよね、軍資金がないと…。ところが通帳はそのままですし、12 月の給料もまだ貰っていないし、ボーナスも出ていない。お金を持って行った形跡がないんですよね。
で、あとから大家さんの方に話を聞いてみると、電柱の陰、外側に道があるんですけれど、その電柱の陰から弟の様子を見ている人がいたとか、弟の下宿の下の所に細い通路があるんですけど、そこに立っている人がいるので、「あんた何?」と大家さんのおばちゃんが聞いたら、「いや、同僚の者です」と言って立ち去ったとか、変な感じがあったとか…。 あとあとはそういうことで、「怪しいな!」という感じになったのですけど。当日はそんな風で、洗濯物もつけたままで置いていたとか。
今だったらハッキリ分からないですが、白い車に乗せられて行ったとか、情報はハッキリとは確認してませんけれども、そんな話があったと…。
そんな変な形だったので、一応桑名の警察には行方不明と…、その頃は拉致なんて全然思っていませんので。行方不明ということで処置した訳なので。それであの、もっと早く調べておけば良かったなと思って。
弟の荷物を開けたら、その中から朝鮮関係のチラシとかが出て来たんですよ。それで丁度その頃に金大中事件というのがありまして、それで日本からホテルから、韓国のあの…さらわれて死刑の判決が出て、「金大中を救え!」とか、そういう会合とかがあって、チラシが…。
四日市の駅頭に朝鮮の女の子と一緒に立って、ビラを配ったりとか、かなり「えー、こんなことやってたの?」ということで、1 年に1 回し会ってませんし、帰って来ても話もしないので…。
かなり朝鮮にシンパシーを、むしろ朝鮮の方が、ちょっと読んでみたりすると、弟の文章なんか読んでみると、「日本人はひどい!」と、「朝鮮人の方がもっと偉い!」みたいなことを書いたりしてて、かなりシンパシーを持っていて、ひょっとしたら、そんな会合とかに出ているうちに「おい君、ちょっと来てくれへんか?」ということで、パッパッパッと下宿からおりて行って、そのまま第 3 者とか、その次の方にバトンタッチして連れて行かれたら全然分かりませんので。まあそんな状況なんです。
最後は一言も電話もなければ、怪しい電話も入りませんし、もうピタッと止まってしまいましたね。
荒木代表:
まあ、向こうとしては、当然連れて行くとすれば、何らかの必要性に合わせて、そういう適性のある人ということで調べるということでしょうから、そういう意味で言うと、真面目な人というのは、ある意味非常にやりやすいという部分があったのではないでしょうか…という感じは致しております。
ということでですね、まあ、本当はもっと色々とお話をお聞きしなければいけないのですが、時間の関係もありますので、ちょっと辻さんの方から、これを御覧の方々にですね、まあ、メッセージを
一言お話し頂ければと思います。
辻さん:
今は国が、脚光を浴びるというか、17 人の国が認定している方だけで、特定失踪者にはなかなかスポットを当てて貰えないということで、なんかあの、実際の担当大臣も 2006 年に始まってから20 何人も既に変わっている訳で、そうすると向こうも、次々に担当大臣が変われば、「日本はそんなに真剣に考えていないんじゃないかな…」という、どっしりとした日本の構えを持っていないことを悟られているのではないかと思います。
何かあると、集会とかあると、やはりそちらが脚光を浴びて報道もされるんですけれども、なかなか特定失踪者の方までは、そういうスポットが当たらないし、政府の方もなかなか認定しようとしない。思ったけど、かえって認定しちゃうと「余計面倒くさいことになるかな!?」と思って、それで動きが鈍いのかなと思っています。
本気になってやっていない。
いつも総理大臣が変わると、必ず第 1 は、先ずは失踪者、拉致された方を取り戻すと、いつも先ず言っているけれども、それから 20 何年、全然動いてませんから、本気でやっているかどうかと…。
それから時々産経新聞なんか、僕は読売をとってますけど、時々産経を読むと拉致のことが結構載っているんです、記事があって…。
だからそうやって継続的な報道をしてくれると日本の方にも関心を持って貰えると思うんだけど…。
今はもうミサイルとか、そちらの軍事の方ばかりで、なかなか拉致の方までは報道がされないので、日本人の中でもだんだん忘れられていくような感じがするので、やはり継続的な報道だとかキャンペーンがあれば、もう少し日本の人たちに関心を持って貰えるので
はないかなと思っています。
荒木代表:
はい、ということで、辻與一さんの失踪に関しても、是非多くの人に関心を持って頂いて少しでも広げて頂ければという風に思います。今日はどうも有難うございました。
終わり
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