レブラ君とあやしい仲間たち その241 テキスト版
- wix rbra
- 7月5日
- 読了時間: 6分
更新日:2 日前
森本さんからの聞き取り文字起こし(5.25 於 大阪)
テキスト変換 飯塚泰樹
荒木代表:
皆さんこんにちは、レブラ君と怪しい仲間たち、大阪からの特別 版です。今日は前回に引き続きまして、ご家族からのお話しをお聞 きするということでですね、山本美保さんの双子の妹さんの森本美砂さん、そしてご主人の森本直行さんにお出で頂きます、宜しくお 願い致します。
森本さんは、あの、双子のお姉さんである山本美保さんは、昭和 59 年の 6 月 4 日に山梨県の甲府市から失踪されておられます。で、 山本美保さんに関しては、まあいわゆる DNA 偽装事件の問題がある のですが。それは来週お話を頂くということで、今日は先ず失踪全 体のことからお話し頂きたいと思います。じゃあ、失踪の時の状況 をお願い致します。

森本美砂さん:
山本美保の双子の妹の森本美砂と申します、宜しくお願い致しま す。姉は 1984 年、昭和 59 年 6 月 4 日に、当時二十歳の時に、「図 書館に行ってくる」と言って家を出たきり、いなくなってしまいま した。当時、姉は大学受験を目指して勉強しておりました。二十歳 で受験生ということだったのですけれども、高校 3 年生の時に、私 たちは二つ上の兄を自損事故だったのですけれどもバイクの事故で 亡くしまして、悲しみのどん底を味わいました。その時に丁度受験 期を迎えていたんですが、姉は東京の大学を、挑戦して受かるんで すね、日本女子大だったのですけれど、そこに受かってたんですけ れど、兄が亡くなった後だったので、「一人だけ東京に行かないでほ しい!」と私も思いましたし、両親も東京の私大はとても行かせる ような経済状況ではなかったので、受けるだけということだったの ですが…なので反対してしまいまして…。そして姉は地元の看護学 院の方で看護士とか保健師を目指して、そこで入学をするんですが、 やはり受かった大学に行きたかったという思いを捨てきれず、そこ を辞めてまた大学受験生ということで勉強していた折でした。
で、いつものように「図書館に行ってくる」と言ったので、勿論 帰ってくると思っていましたし、夜にはすかいらーくというファミ レスでのバイトも入っていましたので…。でも帰って来ない…。 そして、4 日後に柏崎ですね、「新潟県の柏崎に鞄が落ちてますよ。」 という風に電話が家にありまして、もう本当にびっくりして、私は 当時、教育実習があって行けなかったんですけど、両親と伯父が柏 崎に飛んで、二日間、隈なく辺りを探したんですが、その鞄以外の 手がかりは何もなく帰って来ました。 そして本当にあの、家族に黙って外泊などする姉ではなかったの で、「何処に行ったのか?」という…両親も、特に母なんかは居間か ら一歩も出られずに、ひたすら電話を待っていた、という感じでした。
でまあ、長い年月が経つんですけれども、姉の失踪から半年後に、 そこから 4 年間、無言電話がありまして、15 回程になるんですが、 すぐに切れる電話が多かったのですけれども、3 年 4 ヶ月と 3 年 6 ヶ月後の電話は、本当に長い電話で、ずっと切らずにこちらの様子 を 10 分ぐらい様子を見てる、聞いてるという電話で、もう姉だと思 いましたので、みんなで「美保ちゃんでしょ、元気? どこにいる の?」という風に必死で呼びかけて、一回はすすり泣くような声と か、あとはかすかに「元気?」という質問事項、問いかけに対して、 「元気」という風に息を殺すような声で答えた電話がありました。
そういう電話があって、もう「姉だ!」とは思っていたんですけ れども、背景音には、山梨のコマーシャルソングが流れていたりし たので、「山梨にいるんだ!」と思うような電話でした。でもそんな 電話もいつしかなくなり…。そんな状況でいなくなったということ です。
荒木代表:
まあ、本当にあの、みんな大体まさかという感じでいなくなるん ですけれども。これ、是非あの、レブラ君と怪しい仲間たちなんで、 特に自衛官の方には聞いてもらいたいんですが…。実はですね、あ の私、朝霞で予備自衛官の訓練を受けた時に美砂さんから電話がか かってきたことがありまして、それはあの、「どうやったら自衛隊に 入れるんですか?」という、そういうお電話だったんですね。まあ 要は、「自分もいざという時にお姉さんを助けに行きたい!」という ことで、お電話が入って、でまあ、「地練の方に連絡して下さい。」 ということで、その時はお話をして、結局それは無理だったんです けれども、まあ、そういう思いだったという方が、ご家族でもいら っしゃったということを、少し知っておいた方がいいんじゃないか なという風に思いました。 まあ、この間、特にですね、ちょっと来週の話とも関係するんで すけれども、「山本美保さんの失踪が拉致だ!」ということが最初に 大きく出たのが読売新聞の報道ですよね。あれが、ですから 5 人が 帰って来る前ですね。だから平成 14 年 2002 年の 9 月の終わり…?
森本美砂さん:
先に、7 月に新潟に捜しに行った折に、地元紙…新潟の読売新聞と 新潟新聞と柏崎日報に、「双子のお姉さんを追って、北にいるんじゃ ないかと探しに来ている妹さんがいます!」という記事が結構載っ たんですけれども、でもそれだけで、特に後追いもなかったので、「ま あ、こんなものかな…」と思ったんですけれども。 新潟では、「拉致かも知れないですね。」特に「こいつは拉致です よ!」と言って下さったので、私は 7 月の段階では動いてはいたん ですけれども、はい。
荒木代表:
読売の全国版に載っかったのは 9 月の 23 日ですよね。だから、9.17 の小泉訪朝の約 1 週間後ということで、こっからですね、特に同級 生の方々などが非常に動いてくれまして、山梨県は人口 80 万ですよ ね、の県なんですけれども 20 万人の署名が集まるということでです ね、甲府の街中に幟がずっと立って、市役所にも垂れ幕がかかって …ということだったんですが、まあ、逆にそれが変な方向へ動いた きっかけになってしまったかもしれないということなんですけれど も…それはちょっと来週、またお話し頂きたいと思います。この山 本美保さんの失踪に関しても、私も「山本美保さん失踪事件の謎を 追う」という本を書いておりますし、是非ですね、また詳しく知っ て頂ければと思います。では取り敢えず、今日はこれで終わります。 有難うございました。
つづく
留言