葛城奈海
2月の初連載の際、予備自衛官補としての訓練を受け、「日本国の一員だと実感できる教育を初めて受けたと感じた」と紹介した。予備自衛官補としての50日間の訓練を経て予備自衛官になると、今度は元自衛官の予備自衛官とともに年5日の訓練を受けるようになる。
2005年春、初めて参加した予備自衛官訓練では、目を疑うような光景が多々繰り広げられていた。
作業帽を阿弥陀に(後下がりで)かぶる、胸元をはだけるなど、予備自衛官補時代には「決してやってはいけない」と厳しく注意されていた「不十分な着こなし」が見られた。時間に遅れて列に加わったり、学科が始まった途端にいびきをかいて眠り出したりするかと思えば、体育科目になると「健康診断でドクターストップがかかったので」と列外に出る古参の予備自衛官が続出する始末だ。
これで本当に、イザというときに国のために役立てるのかと心底心配になった。
当然ながら、訓練所見では思うところを率直に述べさせてもらったが、一方で、こうも感じた。
「やる気のない予備自衛官」を批判するのは簡単だ。だが、かつて、自衛官といえば「税金泥棒」、自衛官の息子といえば「殺人者の息子」呼ばわりされていた時代があった。そんな時代にあっては、「自衛官であることに誇りを持て」という方が酷な話だろう。誇りの持てない自衛官を量産してしまった背景に、国民意識の反映があったことはまず間違いない。
つまり、自衛官が誇りを持てるような世の中をつくることが、国民の側にも求められているのではないか。
こうした観点から見ると、現在はどうだろう。東日本大震災(11年)や、伊豆大島の土砂災害(13年)、御嶽山の噴火(14年)など、災害時における献身的な活動を目の当たりにして、国民の自衛隊に対するまなざしは、概して感謝と尊敬の念に満ちたものに変化してきたように思う。
東日本大震災の発災1週間後、取材に入った宮城県亘理郡山元町で、避難所に暮らす住民の方が「あの緑色を見るだけで安心する」と語っていたのが忘れられない。そうした国民意識に比例するかのように、私を仰天させた前述のような予備自衛官も、今ではほとんど見られなくなった。
しかし、つい先日、海上自衛隊の若き実習幹部が練習艦隊で日本一周したとき、沖縄県・那覇新港で200人規模の「自衛隊帰れデモ」に遭遇したと聞いて驚いた。
いまだに、そちらの方々はかくも健在なのだ。彼らは自らが被災、もしくは、有事の際に命の危機にさらされたら、一体どんな反応をするのだろう。「国民皆が健全な国防意識を持った国」となるには、日本はまだまだ道半ばのようである。
*夕刊フジ 【国防女子の構え】より
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