ヘリコプターのスリングとは何か?
- wix rbra

- 12月6日
- 読了時間: 9分
影本 賢治
「どれだけ待てばヘリコプターは、あの轟くような音を立てて、あの鉄条網の中に降り立つのでしょうか。」戯曲「よそのくに」(野村 勇)
前回の記事では、ヘリコプターが空中で停止したまま人を吊り上げる「ホイスト」について解説しました。今回は、それと対をなすもう一つの重要な能力、「スリング(機外懸吊:きがいけんちょう)」についてお話しします。
ホイストが「人」を救うための技術なら、スリングは作戦を支える「物資」を運ぶための技術です。今回は、この能力の重要性と、知られざる現場の苦労についてご紹介します。
ヘリコプターは「空飛ぶクレーン」である
スリングとは、機体の腹部にあるカーゴフック(貨物用フック)にワイヤーやネットを掛け、荷物を機体の外に吊り下げて運ぶ技術のことです。
ヘリコプターのキャビン(機内)にはスペースの限りがあります。しかし、スリングを使えば、機内に入りきらない大きなものや、重いものを運ぶことができます。
例えば、陸上自衛隊では、高機動車(自衛隊の大型軍用車両)などの車両、120mm迫撃砲(重量約600kg)といった火砲、あるいはスリングネット(カーゴネット)に包んだ大量の弾薬や食料などを吊り下げて空輸します。災害派遣のニュース映像で、自衛隊ヘリが巨大な水袋(バケット)を吊り下げて空中消火を行うシーンを見たことがある方も多いでしょう。あれもスリング技術の一種です。
この技術の最大のメリットは、「着陸が不要」であることです。着陸できない場所であっても、ホバリング(空中停止)したまま荷物を降ろせるのです。車両が進入できない山上の陣地へ火砲を展開したり、道なき場所へ部隊の活動資材を送り込んだりと、ヘリコプターはまさに、空からの強力な輸送手段として活躍するのです。
どれくらいの重さを運べるのか?
では、ヘリコプターは具体的にどれくらいの重さを吊り下げられるのでしょうか。これを知る上で重要なのが、「フックの耐荷重(スペック)」と「実際に飛べる重量(パフォーマンス)」は違うという点です。
まず、機体についているカーゴフックには、構造上の耐荷重が決まっています。例えば、大型輸送ヘリCH-47(チヌーク)であれば約12トン、多用途ヘリUH-60(ブラックホーク)であれば約3.6〜4トンの重さに耐えられるフックを装備しています。
しかし、「フックが耐えられる」ことと、「ヘリコプターが持ち上げられる」ことはイコールではありません。
実際に運べる重量は、その時の状況によって大きく変化します。
燃料の搭載量: 遠くへ行くために燃料を満タンにすれば、機体自体が重くなるため、その分、吊り下げられる荷物の重さを減らす必要があります。
気温と標高: 気温が高かったり、標高の高い場所(山岳地帯など)であったりすると、空気の密度が薄くなり、エンジンの出力やローター(回転翼)が生み出す揚力(機体を浮かせる力)が低下します。その結果、平地と同じ重量を持ち上げることができなくなるため、荷物の重さを減らす必要が出てきます。
そのため、現場のパイロットや整備員は、フックが耐えられるからといって無茶はせず、その日の気温や飛行ルートの標高を計算に入れ、荷物の重量を厳密に管理して安全を確保しているのです。
スリングを支える特殊な器材
スリング作業においては、いくつかの特殊な器材が用いられます。
スリング・ベルト
荷物に直接巻き付けたり、吊り上げ点(リフトポイント)に通したりする強靭な帯です。ポリエステルやナイロンなどの強靭な化学繊維で作られており、非常に頑丈ながら柔軟性があります。金属製のワイヤーと違って荷物を傷つけにくいため、繊細な機材や車両を運ぶ際によく使われます。

スリング・ネット(カーゴ・ネット)
不定形な物資や、複数の小さな荷物をひとまとめにして運ぶための網です。例えば、補給用の燃料ドラム缶や、複数の弾薬箱・糧食箱などを包み込むようにして運びます。

リーチ・ペンダント(延長器具)
ヘリコプターのフックと、荷物の間をつなぐ棒状の連結器具です。これを使うことで、地上で作業を行う隊員は、自分の背よりも高い場所にあるホバリング中のフックに対して、安全かつ容易に荷物を引っ掛けることができます。特に、荷物の上に登って作業ができない場合などに必須となる器材です。

空中消火用水のう(バケット)
林野火災などの空中消火で使用される、折りたたみ式の巨大なバケツです。スリングで吊り下げてダムや湖、プールなどの水源から直接水を汲み上げ、火災現場の上空で底部を開いて散水します。自衛隊の災害派遣でも頻繁に目にする装備です。

SPIEロープ(スパイ・ロープ)/ファスト・ロープ
通常、ファスト・ロープは機上から滑り降りて侵入するために使われますが、逆に、着陸できない敵地から緊急脱出(エクストラクション)する際にもスリング技術が応用されます。カーゴフックに装着した専用ロープ(SPIEロープ)に隊員がハーネスで結合し、あたかも「ブドウの房」のように鈴なりになって吊り下げられたまま、危険地帯から高速で離脱・回収する特殊な戦術です。

放電棒(アース棒)
静電気による感電事故を防ぐための安全器材です。導電性の棒にアース線(接地線)がつながっています。後述しますが、飛行中のヘリコプターは強力な静電気を帯びており、地上の隊員にとってこの器材は命綱となります。

見えない「真下」と、静電気との戦い
単に荷物を吊り下げて水平飛行するだけであれば、それほど大きな問題はありません。しかし、スリング任務において真に高度な技術と危険が伴うのは、荷物の真上に適切な高度でピタリとホバリングを維持し、荷物が完全に接地したのを見計らって切り離す、その離着陸のプロセスです。
パイロットからは「真下」が見えない
多くのヘリコプターの操縦席からは、機体の真下に吊るした荷物が直接見えません。もちろん、機体によっては下方を映すバックミラーや、FLIR(赤外線監視装置)のモニター映像を利用できる場合もありますが、それらはあくまで補助手段です。
そのため、最終的な位置の微調整や安全確保は、機内の床にある点検窓やドアから身を乗り出して下を確認する「機上整備員(フライトエンジニア)」の声を頼りに操縦します。
「右へ1メートル、前へ50センチ…」
整備員がパイロットの「目」となり、数センチ単位で機体を誘導することで、初めて正確な位置に荷物を降ろすことができるのです。パイロットと整備員の「阿吽の呼吸」がなければ成立しない作業です。
猛烈な「静電気」との戦い
高速で回転するローターは大気との摩擦で強烈な静電気を発生させます。飛行中の機体は何千ボルトもの電気を帯びていることがあります。
もし、地上で荷物を吊り下げる隊員が、うかつにカーゴフックに触れれば、感電して吹き飛ばされる危険があります。そのため、地上の誘導員は最初に「放電棒(アース棒)」をカーゴフックに接触させ、電気を地面に逃がしてから作業を行います。
「緊急投棄」という苦渋の決断
スリング輸送には、特殊な安全装置が備わっています。それが「緊急投棄(Emergency Release)」です。
重い荷物を吊り下げている最中に、もしエンジンが故障して出力が低下したらどうなるでしょうか? あるいは、強風で荷物が暴れ出し、ヘリコプターの操縦が不能になりかけたら?
そのままでは、ヘリコプターごと墜落してしまいます。
そうした万が一の緊急事態に陥った際、パイロットは操縦桿(サイクリック・スティック)に備えられたボタン一つでフックを開放して荷物を切り離すことができます。そのため、荷物を吊り下げているヘリコプターの下には絶対に入るべきではありません。いつ何時、荷物が落下してくるか分からないからです。

救出作戦を「支える」スリングの価値
最後に、我々が目指す北朝鮮による拉致被害者の救出作戦の観点からスリングを見てみましょう。
このような特殊作戦が行われる場所は、ヘリコプターが安全に着陸できる保証はどこにもありません。しかし、隠密性と迅速性が求められる救出作戦の最中に、スリングで物資を運ぶような場面はあまり考えられないでしょう。
では、スリング技術は無関係なのでしょうか? いいえ、そうではありません。特に、特殊作戦部隊が被害者を奪還した後、敵の追撃をかわして緊急離脱するような場面では、先ほど紹介した「SPIEロープ」を使用し、隊員や保護した邦人をスリングの要領で吊り下げたまま、高速で離脱する戦術が採られる可能性があります。
「物資を運び、作戦を支えるスリング。そして、究極の局面で人を運び、命を繋ぐスリング」
普段目にするヘリコプターの吊り下げ輸送は、地味な作業に見えるかもしれません。しかし、その技術の延長線上には、同胞を救い出し、生還させるための特殊なノウハウが存在しているのです。
影本 賢治:昭和37年北海道旭川市生まれの元陸上自衛官。昭和53年に少年工科学校第24期生として入隊し、平成29年に定年退職するまで、主として航空機の補給整備に関する業務に携わっていた。(本人HPより)

ジャスティン・ウィリアムソン (著), Justin W. Williamson (著), 影本 賢治 (翻訳)イーグル・クロー作戦: 在イラン・アメリカ大使館人質事件の解決を目指した果敢な挑戦。 日本にはアメリカと同じことはできません。しかし、だからと言って何もしなくていいわけがありません。この問題を解決に導くためには、日本人ひとりひとりが自分にできることを実行することが何よりも大切だと思います。私にできることは、この本を翻訳することでした。そこには、アメリカ人の自国民の救出に向けた決意と覚悟が書き表されていました。本書が、拉致問題に対する日本人の意識にわずかでも変化をもたらすことを願ってやみません。(訳者あとがきより)
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