伊藤祐靖
港へ着いて、「第一桜丸」に乗り込むとすぐに弁当を食べた。20時30分の出港直後にまた一つ弁当を食べて、ビールを1リットル飲んだ。べた凪の海面を15ノット程度で進む中、21時には寝た。全長160mある軍艦とは、揺れの周期が全く違うが、船の揺れは、何とも心地よく懐かしい感じがした。
眠りに落ちながら、ある予感がしていた。「条件は必ず揃う」自分を取り巻くすべての歯車が噛み合い始めていることを感じていたからだ。こんなもんだ。上手くいかない時というのは、負の連鎖のスパイラルに巻き込まれているし、上手くいく時というのは、場が自分の望み通りに流れていく。協力は誰にも頼めないし、魚釣島沖に着いても周囲に仲間の漁船が居たら、入水できない。その時に保安庁の巡視船との位置関係も大切な条件となる。だから、確率的に考えるとすべての条件が揃うなんてことはそうそうあるものではない。しかし、「条件...は必ず揃う。そして、入水のタイミングが来たら、何かが閃めく」確信に近い予感がしていた。ここまで来たら、その閃きを待って思うがままに動くだけだ。
4時間後の1時に起きて到着予定時刻を確認し、再び寝た。3時半に起きると、新月で快晴にも関わらず、星があまり見えない。進行方向を見ると、中国のイカ釣り漁船の光芒で魚釣島のシルエットが浮き上がっていた。滅多にない新月の快晴に、途方もない距離をやってきた星の明かりが何とも陳腐で人工的な明かりで塗り潰されてしまう。この集団漁業活動に参加をしている一般の人にしてみれば、その後の人生で新月の夜に快晴で人里遠く離れたところで星を見るなんてまずないだろう。あんな奴らがいなけりゃ、プラネタリウムなんかより、遥かに多くの星が実際に瞬くのが見えたはずなのに・・・・・・。
東の空からまだ、淡い光の金星が出てくるころ、私はこっそりと薄いウェットスーツに着替え、フィン(足ひれ)を着けた。そして、腕の時計を見ながら、見知らぬ男性に伝言を頼んだ。時計は、4時を指していた。
「今から魚釣島の頂上に行ってきます。明朝の9時までには、灯台のあたりに降りて来ると船長に伝えて下さい」
「えっ」
内側を向いて「第一桜丸」の船べりに腰掛けていた私は、海側に振り向くように、フィンを付けている足ごと船外に出し、「うそでしょ、ちょっと……」という男性の声を残したまま、漆黒の東シナ海に入った。足首を90°に曲げてフィンの抵抗を最大にして、入水スピードを下げた。これは、入水に伴う音を軽減するためだ。そして、頭まで完全に水没すると頭を下に向け、垂直に潜行し始めた。ドルフィンキックを2回して、2回目の耳抜きをしたところで、ほぼ水深5mに達した。そこで、頭を魚釣島に向け、水平移動に切り替えた。私の行動が付近の漁船に知られるのを避けるため、50mは水中で移動しようとしていた。10回のドルフィンキックを終え、水平の潜行から、やや上昇角度をつけ、徐々に水面に近づくようにした。水深1m程度のところでうつ伏せだった身体を180°回転させて仰向け、背泳ぎの姿勢のようにしながら、顔だけを水面に出し全周警戒をしながら、久し振りの呼吸をした。どの漁船からも絶対に私のシルエットに気付かないだけの離隔距離を確保できたと私は確信した。
つづく(まだまだ)
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