葛城奈海
安全保障関連法案をめぐる論点の1つに、「自衛官の危険が増すのではないか」というものがあるが、国会審議を聞いていても、虚しさを禁じ得ない。というのも、自衛官というのは、そもそも危険な職業なのだ。だからこそ、任官時に「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえる」と宣誓している。
国家・国民の危機に際しては、一般国民が助けを待っている場所にリスクを承知で自ら入っていく。そうした覚悟と誇りをもった自衛官にとって、むしろ虚しいのは、どんなに厳しい訓練を積んでも、必要な場面で日々練磨してきた力を発揮することが許されず、守るべき存在が傷ついていくのを指をくわえて眺めているしかない場合であろう。
これまで自衛隊が海外に駐屯している際、他国軍に助けてもらうことはあっても、他国軍や民間人を助けることはできなかった。他国から見れば失笑もので、自衛官にとっては恥ずかしくも情けなく、誇りを傷つけられる要因であったろうことは想像に難くない。今回の安保法制によって、こうした駆けつけ警護が認められるようになることは歓迎したい。
しかし、「本来守るべき存在が傷ついて苦しんでいるのをただ眺めているだけ」というケースは、もっと身近なところにもあるのではないか。「切れ目のない安保体制」をうたいながら、この件について与党も野党もまったく触れないのはどういうことなのかと思わざるを得ないのが、北朝鮮による日本人拉致問題である。
在外邦人の保護に関しては、当該国の同意が前提となっている。自衛隊による拉致被害者救出に北朝鮮が同意するはずもなく、議論の俎上にすら乗っていない。「いざとなったら米国に頼むしかない」という、かつての首相発言は、微動だにしないのだ。
一日千秋の思いで帰国を待ちわびている拉致被害者家族のみなさんにとって、この審議の空虚さはいかばかりであろう。
改正10法案を一括した「平和安全法制整備法案」と、新法「国際平和支援法案」の中には、「最優先で取り組む」べきはずの拉致被害者救出に資するものはない。私はそこに、「米国が望まないことは進まない」戦後体制の闇の深さを感じざるを得ないのである。
*夕刊フジ 【国防女子の構え】より
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