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尖閣事件が明らかにしたもの

葛城奈海


撃論ムック vol.30より

 大きな喪失感

 あのとき自分の中に渦巻いた感情を、どのような言葉に置き換えればよいのか、いまだに私はこれぞと思う表現を見つけられずにいる。あえて言うなら、耳に入っているはずのすべての音が消え失せ、しばしの不穏な静寂の後に、突如、ぼっと炎が燃え上がる音を聞いた、そんな感覚だった。

 あのときとは、日本の威信を守らんと海上保安官たちが体を張って尖閣沖で逮捕した中国船の船長が処分保留のまま釈放され、逮捕に当たっては海に投げ出された海上保安官が中国船に引き殺されそうになったという噂まで流れているというのに、政府が頑なにビデオの公開を渋っていた、あのときだ。

 一体誰のための政府なのか。「国民への影響や、日中関係に配慮」というが、船長を釈放することが、日本国民に一体どんな益を与えるというのか。国民を納得させたいのであれば、逮捕に至る一部始終を堂々と映像で公開すればよいではないか。日中関係に波風立てないようにというのは、つまり中国の意のままになることを甘んじて受け入れろということではないのか。そこに、国を背負う者としての誇りと責任は微塵も感じられない。

船長が釈放された二日後の夜、酒席を共にしていた韓国人留学生がつぶやいた。「日本政府は大きな大きな過ちを犯した。同じく日本との間に領土問題を抱えるロシアも韓国も、今回の日本の対応を注視していた。それがこういった結末になったということは……」。彼が言葉を濁したその先は、メドベージェフ大統領の北方領土訪問という形で、残念ながら、すぐさま現実のものとなった。

 メドベージェフ大統領が国後島を訪問したのとまさに同じ日、一部の国会議員に六分五十秒に編集した尖閣ビデオが公開され、その三日後の十一月四日深夜、You tube上に約四十四分の映像が流出した。そこから始まった「犯人探し」、そして義憤に燃えて映像を流出させた海上保安官の自首とその処分決定までの一連の流れは、本来次元の違うほど大きな過失、いや「罪」である政府の決断から目を逸らす絶好のツールとして利用されたと言えるだろう。


 「報じない」という武器を振りかざすマスコミ

こうした一連の出来事を、マスメディアはどのように伝えてきたか。そもそも尖閣諸島沖に中国船が入ってきたこと自体、本来であれば「領海侵犯事件」であるはずだが、『激論ムックvol.29』で西村幸祐氏ご指摘の通り、そういった名称で報道しているメディアが見当たらない。また、中国船の船長以下乗組員を逮捕したことに対する中国での反日デモは、これでもかというくらい連日報じられたにも関わらず、例えば、尖閣付近で漁をしている日本漁民の怒りや嘆きの声は、電波にも紙面にもほとんど載ることがなかった。後日、『頑張れ日本!全国行動委員会』(田母神俊雄会長)の集会(十二月一日開催)において山谷えり子参議院議員が語ったことによれば、尖閣周辺はマグロやカツオの好漁場であるが、その漁に使用するはえ縄を中国船によって切られる事態が続出し、漁民は大変怒っているそうである。しかし、そういった事実がマスメディアによって報道されたことを寡聞にして私は知らない。

 「意図的な不掲載」をもっとも明確に感じたのは、『頑張れ日本!全国行動委員会』が主催する抗議デモが、会を重ねるにつれ、それまでデモや集会に参加したことがなかったサラリーマンや学生、主婦らも巻き込みながら、大きなうねりとなっているにも関わらず、国内のほとんどのマスメディアがそれを報じない実態を目の当たりにしたときだ。私がこのデモを初めて目にしたのは、チャンネル桜の桜You tubeにアップされた十月十六日開催の「中国の尖閣諸島侵略糾弾! 全国国民統一行動デモ」の映像だった。翻る日の丸、日の丸、日の丸……絶えない人の列、口々に叫ばれる参加者たちの熱い思い……。同スローガンを掲げ十月二日に行ったデモの参加者二七〇〇人を上回る、三二〇〇人が集まったという。画面から溢れんばかりのそのエネルギーに、通りすがりにたまたまデモと出くわした人であれ、映像を通じて目にした人であれ、日本人であれ、中国人であれ、その他外国人であれ、このエネルギーに触れた人であれば、これはただ事ではない、捨て置けないうねりが始まったと実感せざるを得ないであろう、憂国のエネルギーの胎動を感じた。まっとうなメディア人がこれに触れれば、報じないはずがない。事実、CNNやロイターといった各国の主要メディアはこれを素直に大きく報道したという。その一方で、産経新聞を除く、日本の大手メディアはこれを黙殺したのだ。これが、意図的でなくてなんであろう。流石にこの報道姿勢には、ネットをはじめとする各方面から疑念と非難の声が上がり、以後徐々にNHKはじめ主要メディアも報道せざるを得なくなっている。

 尖閣事件そのものに話を戻す。産経新聞も、メドベージェフ大統領の国後島訪問のニュースは、迅速に、そして大きな紙面を割き、それこそ日本の漁民の怒りもカラー写真入りで伝えていた。それを見ながら、違和感を覚えた。尖閣事件についての扱いは、これに比べてはるかに抑制的なものだったからである。すでに実効支配されてしまっている北方領土と、これから支配される危機が生々しく迫っている尖閣。現時点で、日本人にとって、より切迫し、より深刻なのは、今を生きる我々の対応如何によって命運が分かれる尖閣の方である。であるはずなのに、扱いは逆になっている。残念ながら、産経新聞にさえも背後にある力を感じざるを得ないのだ。


 ほとんど報じられなかった「功績」

最近になって、民族派団体一水会の木村三浩氏から尖閣にまつわるひとつの歴史を聞いた。昭和五十三年四月に百隻を超える中国の武装漁船が尖閣諸島海域に侵入し、一週間にわたる威嚇行動を行ったが、このときの政府の対応に危機感を抱いた日本青年社が、同年八月、魚釣島に上陸、灯台を建てた。同氏は、日本青年社の一員で、この時上陸した尖閣諸島上陸決死隊第六次隊のメンバーである。以後、毎年、同隊の隊員が上陸して電池の交換、保守、維持管理を行い、日本の領土主権を主張するだけでなく、周辺を航行する船舶と漁民の安全を守ってきた。実際、灯台設置二年後の昭和五十五年八月には、台湾から神戸に向かう途中だったフィリピン船籍のMAXIMINA STAR号が台風により遭難するも、魚釣島の灯台の灯りを発見。灯りを目安に灯台前に座礁し、上陸隊の宿舎に避難して、そこに蓄えられていた食料により乗組員二十三名全員が無事救助されている。こうした「実績」ある灯台を、平成二年、海上保安庁は正式な航路標識として認知したが、政府は先送り。海上保安庁の技術指導を受けてすでに一級灯台の資格を備え、実際に光っている灯台を正式に海図に記載しようという当然の要請が再三行われたにもかかわらず、北京政府の顔色を伺う外務省が「時期早尚」として先送りし続け、平成十七年、ついに「国有灯台」として国が認知し、維持管理を引き継ぐまで、実に二十七年の歳月を費やすことになる。本来国が行うべき「実効支配による領土保全」が、民間の篤志家によって行われ、長い年月を経て、ようやく国がしぶしぶ重い腰を上げて追随した形だ。この間、体を張り、また毎回100万円から200万円もの支出を重ねながら50回以上にも渡って上陸し、日本の領土を守る礎を作ってくれた日本青年社の行動は感謝と称賛に値すべきものであるはずだが、右翼団体というフィルターをかけたマスコミは、この義挙を正当に評価、報道してこなかった。

 戦後の日本を牛耳ってきた上層部と外国勢力、そしてマスコミ。これらは共通の利益によって結び付き、闇の力でこの日本をコントロールしてきた。筆者は、予備自衛官や自衛隊OBの有志らとともに「予備役ブルーリボンの会」(代表・荒木和博)で活動しているが、この闇が、問題の解決に向けて大きな足かせとなっている構図は拉致問題においてもまったく同じである。私たちは、知らず知らずのうちに、この深い闇にまとわりつかれた中で生活しているのだ。私たちを「まっとうな国民」として目覚めさせないようにしている、この闇は、戦慄するほど深く、執拗である。が、今回の尖閣事件は、一般国民の前にもこの闇の存在を知らしめた。過去にこれほどあからさまに化けの皮が剥がれ、闇の存在が白日のもとに曝されたたことはなかったのではないか。これを、覚醒の機会とせずば、日本再生を放棄するに等しいであろう。 

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