今が拉致問題を解決するチャンス―拉致被害者家族の苦難の道を語る―

最終更新: 2018年7月28日

横田滋・早紀江 荒木和博


月刊誌『改革者』で代表荒木がインタビューをしたもの

特別インタビュー横田滋・早紀江

インタビュアー 荒木和博 予備役ブルーリボンの会代表、拓殖大学海外事情研究所教授、特定失踪者問題調査会代表

北朝鮮による日本人拉致問題は一向に進展していない。ご家族の年齢も高くなっている。金正日の死亡で、事態は進展するのであろうか。横田めぐみさんの拉致事件発生から今日までのいきさつと苦難の年月を語る。



荒木 まず、金正日死亡のニュースを聞かれたときのことから伺いたいと思います。

横田(滋) 十二月十九日は、川崎市の仲介でめぐみそっくりの人形を作ってくださった方からのお人形を受け取りに行っていました。その帰りに産経新聞の方から「お昼に北朝鮮の重大発表がある」との電話をいただきました。死亡と聞いた時は死因が病気なのか事故なのか最初は見当がつきませんでした。

帰宅すると夕刊に間に合わせるための記者会見があり、その後は次々とテレビ各局からの依頼が翌日まで続きました。


私たちは金正日の指令によってめぐみは拉致されたと、彼に非常に強い憎しみを抱いていました。それがこれまで私たちが活動してきた原動力になっていました。死亡したと聞いてもう責任追及ができないわけです。

金正日政権が代わった場合は、混乱が生じて軍の統制も取れなくなり、拉致被害者の安全が図られなくなるという説と、そんなに乱れることもないという二つの説がありました。私は新たな政権と日朝交渉し、拉致被害者を帰してもらい、小泉元総理との約束で、完全に拉致問題が解決すれば国交正常化することになっていますから、そうなれば北朝鮮には支援金も入って

きます。そうなってくれればいいなというふうに思いました。

横田(早紀江) 一報を聞いた時はびっくりして「エーッ」でした。またすごいことになるのかとも思いました。「あの人より先に死なないようにしてください」とどこに行っても言われていますので、がんばらなければと思っていましたから、いよいよそのときが来たのかなという案外冷静な思いでニュースを知ることになりました。


最初は北朝鮮とは思いもしなかった

荒木 めぐみさんのことが明らかになり、家族会ができ、救出運動が始まってもう十五年になってしまいました。事態は全然進んでいなくて申し訳ない思いがあります。めぐみさんが失踪されたときに北朝鮮に拉致されたと考えられたことはありますか。

横田(滋) 全くありませんでした。

横田(早紀江) 新潟にいたときは北朝鮮の人が海岸などに現れるということは全く知りませんでしたし、北朝鮮のことなど全く考えませんでした。

荒木 そのとき考えられたのは普通の誘拐とかですか。

横田(早紀江) いろんなことです。誘拐かもしれないし、家出かもしれないし、いろいろなことを思っていました。それでいろいろなお友達に電話をかけたりしましたが、誰も知らないというので「これはおかしい」と思い始めたのです。

めぐみの失踪から二年ほどの間に知りあいの方から「北朝鮮」という言葉を聞きました。それは「きっと北朝鮮に連れて行かれたのに違いないとうちの主人が言っている」という話でした。私たちは何も解かりませんから、「何で北朝鮮なのだろう」と思いました。

もう一つの話は、息子(めぐみさんの双子の弟、拓也・哲也氏)のお友達のお母さんから、「お姉ちゃん帰ってきてよかったわね」と言われびっくりしていると、「北朝鮮に連れて行かれて病気になってしまって、日本銀行と警察がみっともないからとそれを伏せて、そっとつれて帰って、新潟の病院に入院していると聞いた」と言われました。早速警察に電話しようと家に帰ってきたら違うお母さんから電話で「お姉ちゃん帰ってきたんだって」とまた言われました。

「帰っていません。その話どこから聞いたのですか」と聞き返したら、そのときは「誰々さんから」と言われました。

警察に連絡して私たちも知らないこんな話が出回ってしまうと、そんな事実がないのに「よかった」ということになってしまいますから、新聞に載せてくださいと頼みました。警察の人は「それは大変ですね」といろいろ連絡してくださって、翌日の『新潟日報』に「変なうわさが広がっているが、そんなことはないので言うのは止めてください」という趣旨の記事が載りました。

私は私でそういう話をした人の家を一軒一軒回って、誰からそういう話を聞いたのか調べました。五、六軒回りましたが、それ以上の話はとうとうわかりませんでした。

警察の方は、「たぶんお医者さんとか大学の先生が、飲んでいる場でどこからか入ってきた話として話題にしていたものを聞いた人が、本当みたいになって出回ったのではないか」とはっきり言ってくれました。


そのことがあってから北朝鮮ということを意識するようになりました。めぐみがいなくなって次の年の半ばぐらいまでの間だと記憶しています。わりと早い時期でした。

横田(滋) 私どもは当初から「これは絶対に事件だ」と思いました。

なぜかというと、めぐみは普段は学校の帰りに寄り道することはなかったわけです。それで警察にすぐに届けて、警察犬を使って探してくれました。めぐみは友だち二人と学校を出て、二人と別れて自宅への曲がり角に来たところで犬が臭いを追えなくなったわけです。それで車に乗せられたのだろうということで、身代金目的の誘拐と警察は推定しました。それで誘拐担当の特殊班が捜査を始めたわけです。

もう一つの可能性としては、ちょっとした交通事故にあって病院に運ばれていて、次の朝帰ってくるかもしれないというのと、もっとひどい事故で轢いた人間が処理に困ってどこかに捨てたのかもしれないということでした。

家の中の預金通帳などは一切持っていっていませんし、その日学校で借りていた本を返して、新たな本も借りています。またその日は修学旅行の積立金を払う日でしたが、学校にはそれをきちんと払ってありました。そうしたことから家出はちょっと考えられませんでした。

以前住んでいた「広島に行きたい」ということは言っていましたが、当時はまだ新潟に新幹線が通っていませんでしたから、東京に泊まって翌日広島へ行くということもお金を持っていませんからありえないと思いました。ですから初めから事件しかないと思いました。


警察は当初から北朝鮮と解かっていた?

荒木 事件後初めて知人の方々と新潟中央署へ行かれたときに、署長が部屋の窓を全て閉めたというお話をしていましたね。

横田(早紀江) 部屋の中央に署長さんが座っていて、いろいろ話し始めてしばらくすると大きな声で「ブラインドを早く閉めろ」と言われたのでびっくりしました。明るい昼間なのになぜだろうとそのときからおかしいなと思っていました。

「閉めろ」と署長さんが怒鳴るような言い方だったので、よく覚えています。

荒木 その署長さんは最初から北朝鮮による拉致であると認識していたのではないかと聞いています。だから監視されているかもしれないと思い、ブラインドを閉めさせたのでしょうね。

横田(滋) 身代金目当ての誘拐だったら、自宅に連絡してくることもあるが、勤め先の日本銀行に脅迫してくることもあるというので、当時は日本銀行の電話交換室まで記録装置をつけたりしていました。

横田(早紀江) 思い出せば変なことばかりありました。夜中に無言電話がしょっちゅうありました。電話にはすべて出ていましたが、あると き「黄色いハンカチーフ」って言うので「お店の名前ですか」と聞き返しました。明らかに韓国系の人の話し方で、声の向こうからはエンジンのような音が聞こえていました。すぐに電話帳で「黄色いハンカチーフ」を調べたらスナックに

そういうのがあって、警察に連絡し、私も店に電話しましたが「電話したことはない」ということでした。警察からも「そういうことはなかった」という返事をもらいました。

荒木 特定失踪者のご家族にも無言電話や不審な電話のかかる例は少なくありません。おそらくいなくなった後で家族がどうしているかを探っているのだろうと思います。

横田(滋) ほかの被害者の家族の方のところにも無言電話はよくあったそうですが、警察に相談すると、「そんなのNTTに相談しなさい」と言われたそうです。

日弁連の人権救済申し立てをしたとき、警察に連絡したかどうかなどいろいろ受付要件があるわけです。私どもはすぐに申し立てしましたが、他の人はいなくなってから二日か三日たった後に申し立てをしていました。

アベックなどの場合は、大騒ぎして翌日帰ってきたらみっともないので、誰も事件とは思っていません。それでどうしても初動が遅れたのです。

荒木 アベックの場合は、それぞれのご家族が相手側を疑ってしまうのですね。それが目当てで二人連れて行った可能性もあると思います。

横田(早紀江) 「黄色いハンカチチーフ」の電話の前、事件発生後十日目ぐらいにかかってきた無言電話は、女の人のきれいな声のアナウンスが聞こえているのです。デパート内のご案内のような声ですが、日本語にも英語にも聞こえませんでした。当時は北朝鮮という意識は持っていませんから、私には何語かわかりませんでした。空港のアナウンスだったかもしれません。

横田(滋) 一回だけ脅迫のような電話もありました。「金をもってこい」というものでしたが、警察が逆探知して捕まえました。

もう一つは「めぐみに金を貸してあるが、それを返してくれればめぐみは返す」というものでした。警察からは金を要求されたら絶対に一人で行ってはダメだと言われていましたので、警察に行ってもらいました。


平成九年に家族会を作った

荒木 家族会ができてからもう十五年ですね。

横田(滋) 家族会ができたのは平成九年の三月二十五日です。そのときはもう新潟には「めぐみさんを救う新潟の会」ができて、署名活動も始めていました。

荒木 家族会ができる二、三年前に韓国からめぐみさんの情報が入ってきていましたが、あのころは警察からの問い合わせなどはありませんでたか。

横田(滋) それはありませんでした。めぐみがいなくなってから二年半ぐらいたった昭和五十五年にアベック拉致が『産経新聞』に出ました。その当時失踪届というのは全国で年間一〇万件ほどあるらしく、そのほとんどは解決するか死亡で終わりになるそうです。ですから十年経過すると一年間に一度廃棄するそうです。新潟警察署だけはポスターも貼って継続していました。更新手続きをしていないと打ち切られるようです。

荒木 私の聞いたところでは、ちょうどその時期に新潟県警に上からめぐみさんの失踪事件について調べろという指示が出たそうです。担当した人は、何でこんな昔の事件をやるのだろうといぶかしく思いながらやっていたそうです。

横田(早紀江) 警察はいつも何か解らないところがありました。

横田(滋) 平成九年一月二十一日に私のところに橋本敦参議院議員秘書の兵本達吉さんという方から情報が入って、取材も始まりました。また、少したって西村真悟さん(前衆議院議員)が質問趣意書を出していることも聞きました。それで新潟中央署に「知っていますか。近く国会で取り上げられるでしょう。そうなると中央署にも問い合わせが来ると思うので、これまでの

いきさつをお話しておいた方がいいと思う」と言いました。それで話をしに行ったら、県警の外事課の人はその動きを知っていましたが、現場の捜査員はそういうことは全く知らされていませんでした。

捜査員の人は、毎朝ドアに貼ってあるめぐみの写真を見てから出かけると言っていましたから、二〇年近くたって具体的な進展は何もなくても、それを忘れないようにとやっていてくれました。

荒木 刑事畑の人は情報も知らされていないで、警備、特に外事畑だけでやっていたんですね。

警察の中は横糸がぜんぜん繋がっていません。 思い切って名前を出した

荒木 西村さんの質問のあった平成九年二月三日に横田めぐみという名前がいきなり出たのですが、あの時名前を出す決断をされたことが今日に繋がっていると思います。

横田(早紀江) いつもしんどいことばかりでしたが、名前を出してよかったと思います。

荒木 具体的に名前を出すことはどんな心境だったのでしょうか。

横田(滋) 多少のリスクはありましたが、いろいろな方の話を聞いてみたら、日本はこれだけの情報を持っているのだから、手出しするなというメッセージになるし、名前を出した方が今後の安全を図れるという意見の方が多かったのです。

横田(早紀江) あの事態ではうちでも「仕方ないね」ということになりました。なるようにしかなりませんでしたから。

荒木 家族会を作られたいきさつはどうでしたか。

横田(滋) 政府が認めていた拉致被害者は六件九人で、うちを加えて十人のうち八人の家族でつくりました。中には七人と書いてある新聞もありましたが、長崎に住んでいた原敕晁さんのお兄さんは人工透析をなさっていて、「東京にも出かけられないがいいですか」とおっしゃいましたが「趣旨に賛同してもらえるなら」ということで入っていただきました。それで家族会を作った会合に出た人は七人となり、新聞によって七人となったり八人となったりしたのです。各家族から一万円ずつ集めて、政府から聞いた情報などを送る郵便代に当てました。蓮池薫さんと(奥土)祐木子さんの場合は、奥土さんの親族に警察関係者がいるので、迷惑が掛かるといけないからと蓮池さんの家族だけが入った形になりました。

荒木 あの頃まだ「拉致疑惑」と言われていましたが、世間の認識も政府の対応も今の特定失踪者と同じような感じでした。

横田(早紀江) 「十五年前のあのときの家族会の姿が特定失踪者家族の皆さんです」といつも講演会で話すのです。

横田(滋) いったん名乗りを挙げたらやり続けるしかありません。特定失踪者の家族でも、関係する会合に出してもらえないところもあります。

荒木 政府が共催の集会のときは、特定失踪者家族が壇上に上がるだけでも大変なのです。政府が押さえてくるのをねじ込んでやっと登壇できる状態です。

横田(早紀江) こんなにはっきりしていてもですか。ここまで来てあらゆることがみんなわかってきて、帰ってきた人が証言もしているし国際的な問題となっているのに何でと思います。政府や警察の中はどうなっているのかわからなくなります。

荒木 以前、対策本部の幹部が「政府は一丸となってやっています」と言うものですから、「どう見てもそうは思えないんですが」と言ったら、同席していた別の幹部がうなずいていましたから、やはりそうなのかと思いました。

たとえば北朝鮮から出てきた写真や情報を政府に渡しても、確認ができないということで終わってしまうのです。

ご家族の皆さんのところに警察の担当者が来ても、たいていは「何かありますか」と聞くだけです。「何かありませんか」と聞きたいのはご家族の方でしょう。

横田(早紀江) いろいろなことを言う人がいますから、よく解かりません。聞きたいのはこちらの方で、時間だけたって何も解からないわけでしょう。何にも情報がないでしょう。あっても言わないのでしょうか。それが解からないのです。

荒木 北朝鮮の言うことはほとんどうそですから。日本国内で隠されていることが出たら時間の問題も含めて前進だと思います。

横田(早紀江) 出せないという何か理由があって、それが問題なのでしょう。

荒木 一番は警察だと思いますが、認めてしまうと不作為の責任を問われるからでしょう。内部から変えていくのは難しいと思うので、嫌われてもねじ込んでいくしかないと思います。



交渉を進展させるチャンス

荒木 金正日が死亡して、その後の体制がしっかりしているなら話し合いもできるし、進展させるチャンスになるかもしれません。

横田(早紀江) 今が一番いいときだと思います。それを何とか政府に伝えたくても方法が見つからなかったら手紙を書けばいいと言われたので、総理大臣宛にいろいろ書いて金正日葬儀の日に出しました。

まだ体制がどうなるかもやもやしていますが、何か起きる前に交渉する意思があることをこちらから伝えないといけないと思います。


荒木 北朝鮮の当局でなくても、情報を持っている人でもいいからコンタクトをとって、意思を伝えないといけないでしょう。

横田(滋) 「小泉さんが朝鮮総連に行って献花したことをどう思いますか」というテレビの取材がありました。

荒木 私のところにもある特定失踪者のご家族から「弔問外交で、小泉さんに北朝鮮に行ってもらい交渉のきっかけにできないか」というFAXが届きました。ただ、金正恩体制がどうなるかはっきりしない段階で下手に動いて逆効果になる危険性もあります。それよりはこれから出てくる情報を的確に捉えていくことが大事だと思います。金日成が死亡したときとは明らかに

状況が違います。

横田(滋) アメリカが食糧援助するといっていますが、それで拉致された人が少し減るという人もいます。

金正日葬儀の日のテレビではいろいろな方が「これをチャンスに交渉を始めて解決すべきだ」と言っていました。圧力一辺倒ではなく、相手が交渉に乗れる状況を作ることも必要だと思います。

荒木 全ての可能性を追求して、ともかく救出を実現しなければなりません。私たちもこのチャンスを逃してはならないと思っています。今日はありがとうございました。

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