そういう時に死ぬもんだ

最終更新: 2018年7月28日

伊藤祐靖


ビーチにあるダイビングショップの支店でボランティアすることになって2日目だった。若い従業員に教えるふりをしたり、客の面倒をみるふりをしながら、ショップの機材を使って自分の訓練をしていた。前の晩にミンダナオ島に住み着くことを決めた私は、朝一番にダイビングショップの青年二人に自分の住む場所を探すように頼んだ。

「おい、俺はここに住むことに決めた。住むところを探してくれ」

「俺たちのところに住めば?」

「俺たちって、二人は一緒に暮らしてんのか?」

「そうだ、ベットは4人分ある」

「別を探してくれ」

彼らと暮らしてしまうと、彼らの階層としか知り合うことができないので断った。

「わかった、探しとく」

「俺は、明後日にはいったん日本に帰って、ここに住む準備をしてくる。それまでに見たいんだよ」

「じゃあ、今日中に見つけて、明日の仕事の帰りに見に行かないと間に合わないな、ところで準備って何があるんだ? 海軍を辞めたばっかりなんだろ」

「ああ、預けてある荷物を処分するか、持ってくるかしないとな」

「何を持ってんだよ」

「口で言えるほど少なくない」

「へ~、もうそんなに持ってるんだ」

「基地の中に住んでた訳じゃないからな。ところで、俺の住みかは、今日中に見つかるか? 」

「見つからなきゃ、俺たちのところに住みながら探せばいい」

「それも、そうだな」

「電気は、あった方がいいだろ?」

「?? まあ、そうだな」

この時、初めて普通の人がどんな生活をしているのかを全く判っていないことに気付いた。電気があった方がいいだろって、普通に聞くってことは、ないのが当たり前なのか?

「今日、帰りにお前たちの住みかに行ってもいいか?」

「いいよ、鶏の丸焼きとラムを買って帰ろう」

その日の夕刻ダイビングショップを閉めると、責任者の女性と青年2人と私で青年たちのアパートに行った。途中で、ビール、ラム酒、氷、鶏の丸焼き2つを買っていった。異臭のする池に幅30センチ程度の板が渡してあり、そこを進んでいく。青年はこのブリッチは弱いから2人が限界だと言った。そんな強度の問題よりこれをブリッチと呼ぶことに問題があると思った。そこから先の情景は、絵に描いたような貧民街で、カルチャーショックの連続だった。栄養失調のために髪が金色の子供達が裸足で走り回り、なぜか前歯が1、2本ない奴らが集まって賭けダーツをしている。今思えば、そこは貧民街でもなんでもないし、ごく普通で当たり前の光景だが、家に壁、電気、トイレがあるのが当たり前の日本から来た私はとにかく驚いた。そして、更に驚くのは、当たり前になってしまうと、それに驚いている人を見ると何でこんな事で驚くのか不思議に感じてしまう自分にである。

直接アパートには行かず、アパートの前の駄菓子屋みたいなところの椅子と机で鶏の丸焼きを食べた。なぜ外で食べるのかを聞くと、家の中で食べると、こぼした鶏肉を食べにねずみが来るからだと言っていた。その後、家に入り一つのコップでラムを回し飲みし、2時間程度雑談して帰った。カルチャーショックの連続だったが、一番の驚きは、彼らが小綺麗にしていて、そういう処に住んでいることを感じさせないことだった。

翌日の昼頃に青年の一人がいい場所が見つかったので、今日帰りに4人で見に行こうと言ってきた。何で4人全員で行くのかは不思議だったが、この島の雰囲気、習慣に浸ってみないと何も見えてこないと思い、同意した。

行ってみると、そこはアパートではなく主人、奥さん、子供、主人の兄、メイド、合計5人が住む、中流家庭だった。奥さんが家の中を案内してくれたが、壁に掛かっている水中銃と散弾銃に目がいった。

「これは、誰のですか?」

「兄と、主人のよ」

「趣味なんですか?」

「そう、あなたは、撃つのが仕事なんだってね」

「はい、海軍の特殊部隊にいました」

「みんな楽しみにしてるのよ」

「何をですか?」

「一緒にダイビングとかハンティングに行けるからよ」

「私をこの家の中に住まわせてもらえるんですか?」

「もちろん、日本の軍人さんなら安心だし。あなたがここに住むとこの辺の治安がよくなるわ」

「わかりました。ここに住みたいです」

「あなたは、バドミントンやる?」

「はい、但し訓練でやる話なのでガスマスクをして、視界を狭くしてやったことしかありません」

「やりなさい。ここでそれなりの人と社交するには一番いいわよ」

「わかりました」

「明日、いったん日本に行ってすぐに戻って来ます」

「いつでも、帰ってきなさい」

奥さんとの会話を聞いていた3人に、家の外を指差し“帰るぞ”という仕草をした。

「いいところを、紹介してくれたな」

「ああ、それより今から、お別れパーティーをしよう」

「お別れって、すぐ戻ってくるけどな」

「もう会えないかも知れないから」

「何でだ?」

「人はこういう時に死ぬもんだ」

「何?」

「今日のあんたは、歩き方が浮いている。俺の友達は、みんなそういう歩き方をした直後に死んだ」

「日本は、そんな危ないところじゃないよ」

そう言うのが精一杯だった。彼の言っていることが身に染みた。見透かされていることが、一瞬で判った。

確かに、浮かれている。しかし、新たな生活が始まることや、未知への挑戦で浮かれているわけではない。実は、成功の可能性なんか殆どないと思っているからこそ、浮かれているのである。心のどこかで、できるわけがないと諦めていて、目指したというだけで、十分正当化できると思っている。失敗してもいくらでも言い訳ができると思っている。成功することに全身全霊を傾ける気はなく、何が何でもという一瞬も気が抜けない切迫感から解放されているから浮かれているんだ。それに薄々気付いているのに、「自分は、多くのものを捨てて、諦めてきたからこそ、こんなに危険なところに入っていくのに気持ちが高揚している。腹が据わってきた」と、思い込もうとしていた。心のどこかで諦めていて、執着心がなくなっていたに過ぎない。何が何でもという執着心があれば、もっと臆病に慎重になるはずだ。俺に必要なのは腹の据わりではない。成功に対しての執着心を持ち続け、切迫感に耐え続け、臆病で慎重な自分で居続けることなんだ。

私の心は、20代の青年に見透かされていた。まだまだ透明ではなかった。

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