「お世話になりました。行ってきます」北朝鮮工作母船追跡事案(第7話)

最終更新: 2018年7月28日

伊藤祐靖


少し下を向きながら軽く目を閉じていた艦長は、パッと目を見開き、押し殺した声でゆっくりと、真っ暗で静まりかえった艦橋に戦闘射撃の号令を流し始めた。

「戦闘右砲戦、同航のエコー目標」

「せんとう、みぎ、ほ~せん……」

艦長の真横で戦闘号令を艦内に流すマイク係と、ヘッドセットを通じてCICに戦闘号令を流す私が同時に復唱し、それが艦内に響き渡った。と同時に、艦橋の前方にある127ミリ単装速射砲が右旋回を始め、一瞬でその砲身を不審船に向けて停止した。いよいよ始まった。訓練じゃない射撃が始まってしまった。すべては、事の重大性を無視するように、大きな何かが転がるように、何の滞りもなく流れていった。



「射点、後方200」

「射点、後方200」私も復唱した。不審船の後方200mに着弾させろという意味である。私が付けているヘッドセットは、CICに居る副長、船務長、砲術長と繋がっていた。CICでは、さっきまで、使用弾種について話をしていた。主砲からどの種類の弾を撃ち出すかのやり取りが、私のヘッドセットには聞こえているが、その会話の内容をいちいち艦長に報告はしなかった。

「調定よし」砲術長からの報告が来た。

「艦長、調定が終わりました」

「了解。砲術長に調定を再度確認させろ」

海軍の商売は艦の“ぶっ壊し合い”、“沈め合い”である。主砲の射撃システムは、そもそも目標に当てるように設計されている。そこに手動で調定値を入れて、目標(不審船)の後方200mにあえて“ずらす”わけである。調定値を入れているつもりが入れてなかったりしたら、不審船は一瞬で木片になる。艦長はそこを心配し、再確認させた。今まで、細かいことまで気が付いて“こうるせ~おっさん”だと思っていたが、その細やかな配慮がこの時ばかりは心地よかった。

「再確認終わり、異常なし」砲術長からの報告が来た。

「調定値の再確認終わり、間違いなし」少し言葉を変えて艦長に報告した。

「主砲目標よし、射撃用意よし」砲術長から最終報告が来た。いよいよ整った。

「艦長、後は群司令部からの最終指示と現在実施中の最終警告が終了すれば、警告射撃を開始できます」

「This is final warning…… 」

不審船に対し、国際無線で数カ国語による最終警告が行われていた。

「ナブ」

航海長(ナビゲーター)の私に、船務長がヘッドセット越しに呼びかけてきた。

「HQ(群司令部)に『用意よし』を言うぜって、親父(艦長)に言え」

船務長は普段と全く同じ口調で言ってきた。当然、そのまま艦長には言えない。

「艦長、群司令部に警告射撃の準備が整ったことを報告致します」

艦長は、静かに首を縦に振った。

「先の件、艦長了解」

無線機のスピーカーから、「This is MYOKO. “警告射撃用意よし”」と船務長の声が流れ、群司令部のおかれている護衛艦「はるな」からの通信幕僚の声ですぐに応答があった。

「Roger Out(了解、実施せよ)」

すると再び、無線機のスピーカーから船務長の声が流れた。

「This is MYOKO. “警告射撃用意よし”」

「Roger Out」いぶかるように通信幕僚が再び応答した。

(あれっ、船務長どうしたんだ? まさか、通信幕僚の「Roger Out」が聞こえなかったのか?)

一瞬思ったが、そんな船務長ではないことは誰もが知っている。通信幕僚だって、同じ場で聞いている群司令だって知っている。

……そうか、幕僚の「Roger Out」ごときで艦長に射撃命令を出させたくないんだ。何とかして、群司令自身から「警告射撃を行え」と明確な命令を引き出そうとしている。それだけが、たった今、艦長一人にのしかかっている重圧を減らすことができると考えているに違いない。決して従順でも素直でもない船務長の、艦長への深い忠孝を垣間見た瞬間だった。そこには、誰をも奮い立たせる何かがあった。

3回目の「This is MYOKO. ?“警告射撃用意よし”」が、船務長の声で流れた。

(船務長しつけ~な~、踏ん張るな~、群司令に通じて欲しいな~)

「こちら第4護衛隊群司令、『みょうこう』は警告射撃を実施せよ」

きっぱりと、群司令は自身の声で射撃を命じた。

「ナブ、親父が答えんのが筋で~」

今度はスピーカーではなく、ヘッドセットから船務長の声が聞こえた。当然、そのまま艦長に伝えるわけにはいかない。

「応答は艦橋で行う」

わざと艦長に聞こえる声で船務長に答えた。

無言のまま、艦長は自ら無線機のマイクを取り上げ、応答した。

「This is MYOKO.Roger Out」(こちら『みょうこう』、了解)


私の海上自衛隊20年奉職のうち、前半の10年は戦闘艦艇乗りとして勤務し、後半の10年は特殊部隊先任士官として勤務した。前半の10年では、軍隊流の組織作りの特性上、そうそう真剣に、しゃかりきに勤務したことはない。というのは、人間も消耗品であるので、いつでも首のすげ替えができるように組織というのは作ってある。だから、その人でなければできないということが発生しないようになっている。その証拠に、砲術長だった私がある日突然、イージス艦の航海長として着任した。即日出港するケースなんていくらでもある。しかし、この事案の時ばかりは真剣に、しゃかりきになった。すると、あまり細かい指示、説明、会話が必要のない世界になった。相手の胸のうちが見えている。目の前に居なくたって、ヘッドセットを通じて感じることができる。その人が何をしようとしていて、何に困っていて、何をして欲しいのかがお互いに見えている。この人間関係がなければ戦えない。それって、チームワークのことじゃないの?という意見もあるかもしれないが、お互いの想いとすべての歯車がかみ合った時の快感は、チームワークという単語では表現できない。この事件をきっかけに私が引きずり込まれていく特殊戦の世界では、これは絶対条件である。特殊部隊創設時から突入員に求めてきた資質は、この相手の胸のうちが見える精神状態に一瞬で持って行ける能力であった。そして、そこに快感を見出せる感性であった。


艦長は、再び下を向いて目を閉じ、腕組みをした。艦長が考えていることが手に取るように判った。

「俺が『撃ち方始め』と言えば、炸薬がぎっしりと詰まった直径127mmの砲弾が吹っ飛んでいく。どこかでミスがあれば、あの船は一瞬で木片になり、乗っている人も肉片になる。日本人が乗っているかもしれない。救出しなければならない人を粉々にしてしまうかもしれない。同時に、国際問題に発展し、戦争を引き起こすかもしれない。日本と北朝鮮の殺し合いの火蓋を、俺のミスが切ることになるのか……」

自分自身が歯がゆかった。(俺は何ができるんだ。何をするべきなんだ。補佐がしたい。何をすれば、この人は少しでも楽になるんだ?)


艦長は、目をつぶったまま、腕組みをしたまま、下を向いたまま、ついに言った。

「撃ち方始め」

マイク係と私は同時に叫ぶように復唱した。

「うち~かた、はじめ~」

「うち~かた」の“う”を叫び始めた瞬間に、目の前の127mm単装速射砲が火を噴き、目が眩んで何も見えなくなった。同時に轟音ともの凄い衝撃と粉塵と硝煙が降ってきた。粉塵も手伝い、不審船を見失った。

「まもなく、弾着」

一瞬眩んだ目が再び暗闇に慣れるのとほぼ同じくして、粉塵が流れ去り、不審船が見えてきた。誰もが双眼鏡で不審船を見ようとしていたが、夜間に遠方で無灯火の船舶なんか、双眼鏡でとらえられるわけがない。しかし、夜間視力も遠視力も異常によかった私は、裸眼で不審船が見えていた。双眼鏡を持つ必要がない分、両手が空いている。いつの間にか掌と掌を胸の前でこすり合わせながら「つどむ~、つどむ~」と、弾を撃った砲術長の名を茨城なまりで、誰にも聞こえない小さな声で呼び、心の中では「ミスんなよ、ミスんなよ、当たんな、当たんな」と祈っていた。

「だ~ん、ちゃく」

「ちゃく」の“ちゃ”の時に弾着する。その“ちゃ”の一瞬前に、不審船の付近から火柱が上がった。再び目が眩み、不審船は見えなくなった。真っ暗で鏡のような大海原に突然、不審船の何倍もある真っ白な水柱が立ち上ったのだけが見えた。

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