「お世話になりました。行ってきます」北朝鮮工作母船追跡事案(第2話)

最終更新: 2018年7月28日

伊藤祐靖


「水道を出た。航海保安用具収め」

航海保安とは、狭い水道等を通過するときに下令するもので、急ブレーキとして錨をいつでも投入できる状態にして、見張りを強化することである。

副長以下数十名不在のまま出港した「みょうこう」は、博奕岬を通過し、いよいよ外海に出た。艦長からASAPの命を受けている以上、艦が損傷を受けない範囲の最高速で富山湾に向かわなければならない。12Ktから徐々に増速し、出しうる最高速を調べる必要がある。

「両舷前進強速(15kt)」

私は、増速を命じた。まだ、上甲板で錨を撤収している作業員がいるため、この速力が限界だ。私は、速力だけを気にしていた。

その時不意に艦長が命じた。

「航海長、合戦準備をなせ」

合戦準備とは、攻撃によって艦が損傷を受けた時の対処を容易にするため、消火用ホースを充水するなど艦内態勢を整えさせる号令である。外観上は、艦尾旗竿に掲揚されていた軍艦旗をメインマストに移動させる。


「えっ、ここで、ですか?」(もう、ドンパチやんのかよ?)

「ここでだ」

じっと前だけを見つめながら艦長は答えた。

「マイク入れ」艦橋内に居て艦長とのやりとりを不安そうな顔で見ていた艦内放送のマイク係に向かって、私は大声で言った。

「『合戦準備』だ」

自分の緊張をごまかすため、と同時に、艦内のテンションを挙げるために必要以上に大声で下令を命じた。

しかし、そんな私の気持ちとはうらはらに「合戦準備」の号令はマイク係の冷静な声で艦内に響いた。


「甲板よろしい」(甲板作業が終了)報告を受け、私は速力を更に上げた。

「第1戦速(18kt)」

荒天の船体への影響を見つつ、更に増速を命じる。

「第2戦速(21kt)」

船体が受ける激動からこの速力が限界と感じた。

「艦長、この速力が限界です。これでいきます」

ふとメインマストを見上げると、軍艦旗が翻っていた。鉛色の空とグレーの船体の中に白と赤の軍艦旗が妙に美しく見えた。

「やっぱり、いくさ船はこうじゃなきゃな……」軍艦旗がメインマストにあるだけで艦影が締まって見え、「合戦準備」の一言で全乗員の背筋がピンと伸びた。


「航海長、今回の任務を艦内に達しろ」(まだ、聞いてないんですけど)

「艦長、私はまだ、任務を伺っておりません」

「うん」(うん、じゃね~よ)

「特定電波を発信した船舶の捜索が任務だ」

「はい」(な~んだ、そんなことかよ)かなり拍子抜けした。


このまま、艦内に達する訳にはいかない。緊急出港がかかり、合戦準備がかかり、上がりつつあるこのテンションを下げるわけにはいかない。テンションというのは右肩上がりのまま、一気に「任務完遂」まで持って行かなければその能力の発揮は難しい。人間の緊張は高めるのには段階が必要で、しかもそう長くは持たない。更に、一瞬切れてしまうと再び高めるには非常に時間がかかる。テンションコントロールの重要性は、タイムスケジュールのある訓練ばかりしていると見逃しがちなスポットの一つである。


「達する。我が国関係機関は、特定電波を複数地点において受信し、不審船舶の位置極限に成功した。本艦は、ただ今より富山湾に向かい、領海内に存在するこの不審船舶の捜索を行う。現場海域到着予定時刻みょうひ(明日)○○○○インディア(日本の標準時刻)」


偉そうにテンションをコントロールしている気になっているものの、実は私は基本的な問題で困っていた。

「いったい、どうやって探すんだよ……」

向こうだって遊びじゃない、日本人をかっさらうために家に入ってきといて、ライトをつけるようなバカげたまねは、もう二度とするわけがない。この荒天でどうしようもない何かがあったんだ、どうにもならなくて探知されることを覚悟で電波を発信したんだ。天候は回復に向かっている。また、発信してくれるようなことは絶対にない。舷側に「不審船」って書いてあるわけでもなく。ほっかむりしている船員が乗っているわけでもない。第一この荒天で富山湾に逃げ込んできた船がいったい何隻いるっていうんだ……。その中からどうやってこの船が不審船だと特定するんだ。歩行者天国に逃げ込んで人混みに紛れた犯人を探り当てるのと同じだろ。ど~すりゃいいんだ……。

「まあ、いいか しょうがない……」


「艦長、捜索方法ですが、指定海域に着きましたらグリットで切って地域的にはランダム捜索します。見張り員の増強はしても意味があるとは思えませんので行いません。通常の3名の目視見張り員でいかせて下さい」

「うん、見張り員はどうして不審船ってわかるんだ」(痛いところをついてきやがった)

「それは、見張り員の経験に基づく感性に任せるしかありません」

「ほ~。それじゃあ、見張り員それぞれの海上勤務経験はどれくらいあるんだ?」(嫌らしいこと聞く奴だ…)

「はい、第1分隊士に調べてもらったところ、1直哨戒員の1番見張りの○○3曹は、3年9ヶ月、2番見張りの……」何も書いていない手帳を開きながら調べてあるふりをするしかなかった。(やっぱりな~。こう来たか、やっぱり調べとけばよかった、手は抜くもんじゃない)

「いいから、ちょっと見せてみろ」

と言われないために、艦長のかたわらで目を細め手帳を遠ざけて読んでいるふりをした。老眼が始まりだした艦長にはとても読めないだろう。

「わかった。それでいこう」

「はい。では海域に到着する前に見張り員は総員集めまして、事前教育をします」

今思えば、私が事前にそんなことを調べられるほど緻密な性格ではないことを艦長がわかっていたはずである。やはり、艦長の掌の上でころがされていたのであろう。


現場海域に到着すると、べた凪であった。鏡のような海面に春のぬるい日がまったりと降り注いでいた。任務を忘れさせそうなそのまどろんだ空気は、飛び込んできた情報によって一瞬で打ち破られた。

「P3C、不審船発見。ポジション○○°○○ノース○○○°○○イースト」

「なに!? 何が不審だって言ってんだ!?」

「漁具がまったく積んでないそうです。船名は、第1大西丸、第2大和丸」

「バカじゃね~。漁具を上甲板に並べていない漁船なんていくらでもいるよ。荒天の時に漁具なんて上甲板に並べてたら流されちまうからな。天候が荒れてる時は基地に居る飛行機乗りが何言ってんだ」

「そもそもP3Cなんて今日中に基地に帰れるんだぞ、俺達なんかいつビール飲めるかわかんね~のに、あいつらは、確実に今晩飲めるんだ。そんな連中の言うことなんか信じんな、アホ」

私は、もっともな理由と完全なひがみ根性からの理由で必死に否定していた。

「まあいいや、とにかくそのポジションをチャートに入れとけ」

「もう、入れてあります」

「なんぼ、離れてんだ」

「20マイルです」

つまり、37kmである。

「近け~じゃん」

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